チケット代は実質タダ

東北と関東で推しを愛で続ける記録

ミッドサマーを観た(すえこ編)

 

 

推しくんたちのイベントとかもあるんだけど、

他の行事とかぶっちゃって行けなかったり、

コロナの影響で延期になったりで、個人的に落ち着いてしまっているので

久しぶりの更新は、映画の感想です。

 

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何やら各所で物議を醸しているミッドサマー

この映画、ただのゴア盛り胸糞映画なのか、

爽やか青春映画なのか、ただのカルト映画なのか確かめずにはおられませんでした。

 

ので、ディレクターズカット版が放映されるのに合わせて

行ってまいりました〜〜〜ドンパフ

 

感想は、完全にネタバレですので

これからネタバレなしで観たい方、

永遠に観たくない方、どうぞお気をつけて。

 

 

 

あらすじとか書かない。

公式が最大手なので、あらすじが知りたい人は、公式へどうぞ!

https://www.phantom-film.com/midsommar/

 

あとこれが一番怖いと思ったティザー

youtu.be

 

良かったか、悪かったか

スーパー第三者目線で観られる人は観て一緒に語り合おうって言えるけど、

登場人物に感情移入してしまいがちな人はちょっとやめた方が良いかも。

大半を「私はそよ風・・・」って気持ちで観ていたので、苦痛は少なかったです。

ちょっとハード目なゴア表現があるんだけど、

うわーと思いつつ、大丈夫でした。怖かったけど。

怖いよ。人が死ぬの見せられるんだもの。怖いに決まっとろう。

オススメはしないけど、見たら語らおう。そしてラクになろうって言う魂胆。

 

 

疑われそうだから先に言っておきますが、私は全然宗教に入る予定もないし、魅力を感じたこともないです。

信じられるのは数字とお金だけ。

個人主義でわがままだし、他人に干渉されるの大嫌いです(笑顔)

 

あのね、気持ち悪いは気持ち悪い。

怖いし、嫌な感じずっとする。けど気持ちいい感覚を知らない人間としては

気持ちよくしてくれる映画って感じ(伝わらない)

 

見終えた後の心身のおかしさ

いや見出しやばいけど。私は元気です。

手汗止まらなくてビショビショで、映画がおかしいのと東京は雪降るくらい寒くて

映画館の暖房効いてなくてめちゃくちゃ震えてたけど、

頭はすごい冴えてて、あああ〜〜〜キマっちまってるってこういうこと言うのか〜〜^ってなってました。

とだけ先に伝えておきますね。

 

最初の試練:アッテストゥパンという概念

 

※公式読んでたら、正しくはアッテストゥパンだった

 

要は、姥捨山的なことなんだけど、

年取って働けなくなったら〜とか、身体が不自由になったら〜とか生ぬるいことではなくて

72歳になったら死ぬもんだから。っていう潔さ。

痛みや苦しみや恥ずかしい思いをしてまで生きていることより、

生きていられるうちに、知識や考えを若い人たちに伝承して、

生きとし生けるうちに死を経験するという考え方(という解釈)

生とはサイクルで、アッテストゥパンを迎えた人たちの名前は次に生まれてくる

子どもたちに引き継がれる。

 

あくまで私の話だけど、希死念慮って多分、

自分が自分でなくなる感覚が怖いとか、自分で自分のこと処理できるうちに

死んでしまった方が幸福って思っていることだと思っていて、

もちろん現状が苦しいから死んで楽になりたいって思う人もいると思うけど、

私的には、命の期限が決まっている方が生きやすいなていう考えが一致してた。

72歳まで生きていれば、自動で死がやってくるってすごく気持ちが楽。

 

人生を四季にたとえているのも良いなって思えたところ。

生まれてから18歳までは春。

18から36歳までは夏、外に出て知識を蓄えてくる

36歳から54歳までは秋、ホルガに戻って知識を伝承する

54歳から72歳までは冬 幼い季節を守りつつ、穏やかに死を待つだけ

 

アッテストゥパンに失敗すると、痛みを伴いそうな死に方だったけど、

それでも生きている間中は、そこに向かって生きればいいって言う

なんか安心感は絶対的にあると思う。

区切りがあって 絶対死ねるっていう安心感(いや人間誰しも絶対死ぬんだけど)

四季が巡ればまた新たに春がやってくる、至極当然で、受け入れられる。

やばいやつじゃないからブラウザバックしないで、お願い。

 

第二の試練:共感と静寂

とにかく共感共感共感

いや〜〜〜〜〜〜やめて〜〜〜〜〜〜〜共感しないで〜〜〜〜

上記した、アッテストゥパンもだけど、わざわざ余所からきた人に見せるようなことじゃない。

もちろん、見る側に裁量はゆだねてるけど、

「名誉なことよ、見るでしょ?だって名誉なことだもの」って感じで

見せてるのめちゃ怖い。見せないで。

でも多分、粛々と行われるんじゃ意味ないんだよね。

共感をまず求めて、拒否されるかどうかを伺われてる感じ。嫌ですね〜

 

終始静かなのも怖い。

お歌を歌うことでいろんな出来事がスタートするんだけど、

お歌歌う以外終始静か。

 

それも、スタートする人(お歌歌う人)が場面毎に決まってて、

この儀式の主催はこの人みたいな感じ。

それ以外の場面で音をだすことってあんまりなくて、

普通の食事が始まる時も

シーン・・・・(きっかけがあって)カチャカチャカチャモグモグモグ・・・

みたいな。

いただきまーーーーすって言おう(信条)

おいし〜〜〜〜ふう〜〜〜って言おう(願望)

ホルガ飯は終始まずそうだけど。

 

儀式がうまく遂行されると拍手するんだけど、手話でひらひら〜〜ってするだけ

パチパチしないのね。

音を出すって特別なことで、意味なく音は発しませんよって言う強い意志かな・・って思ったのと、

ホルガがは「欠陥がある人でも受け入れますよ」って言ってるみたいに感じた。

Welcome to Harga!感。

 

矛盾か〜〜?って思ったのはたまに他の血をいれて、ホルガはタブーを侵さないって言う割に

結構厳密に北欧の血を守ってる感すげーなおいって思った。

(アフリカ系とかアジア系の人がいないのはちょっと気になったかな、考えすぎかも。魅力を感じないってだけかもだし、90年に1度しか他の血を受け入れる儀式をしないから圧倒的に数の差が出てるだけなのかもだけど。)

 

タブーは侵さないとか言いつつ、教典書いてる子は、近親相姦で生まれた子って

あん〜〜〜?

閑話休題

 

共感するためには、共感してほしい(共感した)出来事が起きないといけないと思うんだけど、

意味もなく「わかる」って言われてもなにがやねんってなるでしょう。(私はひねくれてるので思う)

両親を亡くしたダニーに、ペレが「僕も両親を亡くしたからわかるよ、痛いほど君の気持ちがわかる」って

多分それ、今ペレがダニーに言っても刺さらないんだよな・・・

共感してくれるのがクリスチャンだったらぶっ刺さってたかもしれないし、

クリスチャンが最初から根回しされてたら、ちょっとは変わってたかも

いや、しないなあいつ。(クリスチャン嫌い勢)

 

スウェーデン語も絶対喋れてないと思うんだよね!いや喋れてるのかな、

神秘の体験をしているつもりだったくらいで、それも共感で補われてた感じする。

悪意の共感なのかな。

悪意だったとして、なにが目的で悪意の共感が必要だったのかわからぬ。

ホルガを繁栄させるため、人口(信仰者)を増やすためにたまにやる共感祭?

あまりにコスパが悪い。

一人二人増やすために、毎度あの儀式を90年に一度だけやって、やっと一人確保するって相当燃費悪いよ。

 

 

最後のおセッセしてるシーンがDC版も通常版もあったらしいから、そこから抜粋すると、

一回はダニーが覗こうとするのをホルガの女子が止めるんだけど

強く止めないって言うのがすごい気になった。

わざわざ強く止めなかったのって、わざとダニーに見せたかったとしか思えない。

嫌だね〜。

「儀式だし、これって必要なことだけど、あなたが観ちゃった光景最悪だよね」

今ここでなにが行われてるか知っている前提で、

ダニーと村の女たちが呼応して泣くシーン、うわ〜〜〜〜〜〜〜〜って思いながら

ダニー完落ち確定っすわ。

 

 

そしてなんか私も泣いていた。

これ、これがダニーの欲しかったものじゃ。って泣いていた。

私どこからか、ダニーに感情移入してたんですね。(自己分析)

 

ここまで欲しかった共感が得られなかったダニーからしてみたら、

今ここで、欲しかった共感を得られたっていう、成功体験というか

かゆいところに手が届いた感。

 

妹に嫌な目に合わされて、クリスチャンはなんかアホなこと言ってるし、

一人で帰れば?とか言われて、私は不安で、あなたに頼りたいのに

こいつなんでわからんの(怒)なんで私が謝ってんのに他の女とセックスしてんの?

殺す(怒)ってなるの、感情の起伏としてはわからなくないかなと。

 

そこまで追い込まれたことないからなんとも言えないけど

映画を見てて、ダニーの立場になった時には上に記載の通りに思ったのが事実。

 

よほど顔が好きとか、身体の相性がいいとか、なにかしら性格以外でプラス要因がなきゃあんなにクリスチャンに固執しないよ・・・

全般的不安症だったし、うつ病もやったけど、対人にまで影響及ぼさなかったからかな・・

いやわからん。

しっかり言うけど、まじで今は不眠症くらいで、精神はすこぶる元気(医者のお墨付き)で

社会活動してるから安心してほしい。まじ。

 

第三の試練:思考放棄

おセッセのシーンで思い出したんだけど、

 

心のㄘんㄘんガン萎えだった。

お歌うたわれたらちびっちゃうと思う。

 

 

おばばとマヤのシーンはさすがに笑った。

マヤめっちゃ美人なのに、ちょっとアホに見えたもん。

一晩経って思い返すと、ホルガの人、ちょっとアホなの隠して生きてるな?

考えるの放棄してるな?って思えてきて、

だから他人の感情に依存しているのかな。うーん。色々考え始めると終わらないぞ。

 

よくよく考えれば、確かにホルガの人が他人に依存しているシーンって他にもあって

DC版にしかなかったらしいんだけど、夜水辺のシーンで、(詳しくは一応書かない)

ダニーが「やめて!」って言わなかったら、男の子は普通に水にポーンって捨てられてたと思うんだよね。

シナリオ2パターンは絶対ある。

・誰も止めずにホルガ流で儀式が進む

・村人以外の誰かがSTOPと言って子生贄を放らない

 

あそこで、ダニーにホルガの共感パワーを見せつけた感じがすごくあった。

「あなたが発言したことで、この子の運命は変わった」ってダニーに思わせる効果と言うか。

だから夜のシーン大事だと。

ダンスより前に、ダニーがホルガに共感するタイミング、ほらここにもあるでしょ。

ホルガに残る理由の決定打にはならないけど、不穏度が一気に上昇するきっかけだったでしょ。

あそこで、村民たちが私たち意思はあるのよ持ってるわよって思わせておいて、

タイミングよく発言してるだけで、自分たちは何も考えていないキモさ。

 

メイクイーンに生贄を選ばせるのも本当に思考放棄の最たる。

今までお前らの勝手で血を選んだり、死にゆく人を見送ったりしたのに

突然神への捧げ物を一日で決まったメイクイーンに選ばせるって

結構な責任放棄感。

 

たった1人を招き入れるために村民5人殺すって言うのもね〜〜コスパ悪いですね〜〜

次の祭りで10人入ってくるかもしれないし、

マヤとクリスチャンのセッセで5つご生まれるかもわからんしね〜〜!(考えるのやめた)

 

私がミッドサマーを観られた理由

 

色々書いたけど、要は、

自分の感情も、子どもや他人の命も外部から来た他人に

家族になるんだからっていう理由だけで決定させて

自分たちは何にも考えてない、ラリハッピーってなってるの怖いね。

 

最初に引用したツイートで

 

ドーパミン放出されたのは、

ダニーのこと理解できてしまって、えらい目にあったけど

村民が優しくしてくれたことと、(取り込まれたとも言える)

本当に絵がねVFXがすごいの。お薬キメたことないからわかんないけど、

多分ふわふわして、地球と一体になれるってああ言うことだって思ったから。

積極的に死を考えても大丈夫って思えたこと(まじで健康) 

希死念慮とか、生きてることへの不信感とかを持っててもいいって思えたこと、

 

自分の感情を捨てる、思考放棄することってこんなに気持ち悪いことなんだって

再確認、客観的に見て気持ち悪いなって思えたことが、

「私は大丈夫」って言う謎の安心感になったよって言う感想でした。

 

アリ・アスターの作品用法用量を守って段階的に摂取しないと、

正しい精神を持った人間は死んじゃうよね?って言う確認もあるかも。

 

ラリハッピーになるのも体力必要なんだね。

 

 

観たら語り合おう。この気持ち悪さと快感を。